沢田 研二 と 田中 裕子

大学 芋 たれ 固まら ない
July 31, 2024, 1:04 am

「ジュリーがついに引退か―」 そんなウワサが音楽業界、テレビ業界を駆け巡っている。昨年末に突如ファンクラブを解散した沢田研二(72)が、今年に入って個人事務所も閉鎖したのだ。 【画像】田原俊彦、真っ赤なポルシェで美女と… 「現在、個人事務所は音信不通の状態になっていますが、今年はソロデビュー50周年という節目の年です。4月には記念のDVDボックスが発売され、志村けんの代役で主演した映画『キネマの神様』の公開も控えている。だが、これらを最後に芸能活動にケリをつけるのではないかと見られているんです。昨年中止となったコンサートも振り替えの目途が立っていません」(民放テレビ局制作スタッフ) 本誌は神奈川県内の高級住宅街にある沢田の自宅を訪ねた。3月上旬の午後、瀟洒しようしやな一軒家にタクシーが停まり、降りてきたのは女優の田中裕子(65)。愛妻に続いてメガネにマスク姿の沢田が。夫婦でランチタイムに外出していたようだ。 ―なぜ事務所を閉鎖したのですか? 「…………」 本誌の問いかけに沢田は終始無言を貫いた。元ザ・タイガースのメンバーである森本太郎氏はこう明かす。 「ジュリーとは今年1月に電話で話したんですが、『コロナには気をつけてる。最近はまったく外出してないんだ』なんて話していましたよ。ただ声は元気そうでした。今年が節目の年であることは私たちもちゃんとわかっています。コロナ禍が落ち着いたら、また元気な姿を見せてくれるんじゃないかな」 老け込むにはまだ早いだろう。 『FRIDAY』2021年3月19日号より FRIDAYデジタル 【関連記事】 田原俊彦 宣言解除後の表参道でミニスカ美女とポルシェデート 田原俊彦 マスクで顔を隠すけどテラス席でミニスカ美女とデート 沢田研二の"マスコミ嫌い"を加速させた田中裕子との結婚騒動 離婚、不倫疑惑、引退、借金問題…小室哲哉「壮絶人生」の行く末 福原愛 不倫報道でも「速攻家族円満アピール」はCM違約金対策か

沢田研二と田中裕子

■1989年11月 79年放送のNHK連続テレビ小説「マー姉ちゃん」でデビュー、83年の同「おしん」では主役を演じてブレークした田中裕子(58)。私生活では80年代に芸能界の話題の中心にいた。グループサウンズ「ザ・タイガース」のボーカル、 沢田研二 (65)との交際・結婚である。 出会いは82年4月、田中が26歳の時。当時、再結成したザ・タイガースのコンサートで沢田(当時33歳)と対面。その後、同年末の 映画 「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」で共演し、この頃から2人の熱愛が囁かれるようになった。83年夏ごろには沢田が田中のマンションに通う姿も目撃された。 沢田は当時、双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の姉、7歳年上の伊藤エミと結婚していた。田中との不倫のウワサに対しては田中も沢田もノーコメント。芸能リポーターに対し、沢田が怒りをあらわにすることもあった。

沢田研二と田中裕子の離婚

ピーナツの前妻・伊藤エミさん)は私の大ファンでプロダクションの社長が社の功労者である妻から相談を受けて僕も断れなかったから結婚した。本当は大恋愛の末の結婚が夢だった と、友人に話していたという記事が掲載されたほか、 沢田さんの友人たちも口を揃えて、 ジュリーの初めての恋だ と、言っていたそうですが、 1986年、ついに、沢田さんは、伊藤さんと一人息子を残し、判を押した離婚届を置いて家を出ると、1987年、正式に離婚されたのでした。 (沢田さんは身ひとつで家を出たそうで、テニスコートなどを含めた総額18億円ともいわれる資産は、ほとんどが慰謝料として伊藤さんに譲渡されたそうです) 「田中裕子と沢田研二は結婚30年もおしどり夫婦!」 に続く

沢田研二と 田中裕子の運気

「いや、まぁ事情は全部話してあります」 ――どんなことをおっしゃっていましたか? 「『(どうするかは)お父ちゃんが考えることやからね』、と。いまも支えてくれている? ……そうですね」 苦い笑いを浮かべていた沢田。この苦笑に隠された意味について、沢田夫妻の知人は言う。 「日常生活での細かい夫婦喧嘩はあっても、お互いの仕事スタイルには口を出さないのが沢田夫妻の流儀。沢田さんが反原発ソングを歌っても、政権批判を繰り広げようとも、田中さんはずっと見守ってきました。でも今回は7千人のファンを置き去りにしたわけですからね。田中さんも今回のドタキャンについては怒っていたそうで、自分の音楽活動については唯我独尊の沢田さんもトラブルのいきさつについて奥さんに説明せざるをえなかったようです。夫妻は結婚28年目ですが、沢田さんの仕事について田中さんが叱るのは恐らく初めてのことだと思います」 そんな愛妻の怒りに、さすがの沢田も"カッコつけさせてくれ"と言っている場合ではなくなったようだ。 【関連画像】 こ ちらの記事もおすすめ

それだけではない。近所には事務所の幹部の家などもあり、マスコミが取材に来れば全てをお見通しだった。元ナベプロ幹部に聞いた話を紹介する。 「タレントや社員に"家を建てなさい"とギャラの一部を財テクに回すなど、タレントの将来まで考えて土地を確保するなどしていた」 聞き込みを諦め別居先を突き止める作戦に変更。当時は「夜のヒットスタジオ」など生の歌番組が全盛期。番組終わりが追っかけにはベストだった。タクシーと違い事務所の車での送迎は、常日頃から追跡には気を付けている。早々に追い掛けているのはバレていた。 まき方も手慣れたもので大きな車線から突然、ウインカーを付けずに左に曲がる。追うほうも慌てて曲がると、ちょっと先に車は停車している。通り過ぎるしかない。そのまま、まかれた。