【母の日】義理母に贈り物する?しない?★4,088人に聞きました!|たまひよ

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July 30, 2024, 9:07 pm

路瑛くん: 小学6年生のころから、理科の実験をするユーチューバーが面白くて、「僕も面白い実験をやるユーチューバーになりたい」と思ったんです。でも、薬品を使うには毒物や危険品の資格が必要そうなので、まずは勉強からはじめました。それを見ていた母が、「ケミストリークエスト」という化学のカードゲームを買ってくれて。実はこれが親子起業するきっかけになっているんです。 このゲームは、僕と同じ12歳の男の子が作って起業していたんです。しかも、ゲーム自体もめちゃくちゃ面白くて、化学の勉強もできて。世界中で12万部も売れてるんですよ! 母には本当に申し訳ないんですが、化学ではなくて、違う方向に興味が向かってしまって。 このカードゲームに出会った時、働くのは大人になってからという常識が吹き飛んだんです。きっとこの本に出会ってなかったら、12歳で起業できることも知らないまま。怪しい実験を中継するユーチューバーになっていたかもしれません(笑) 翌日には、母と担任の先生に、「起業したいです」と伝えていました。 起業したい。中学1年生の母親は、その言葉に何を感じたのか? ーたった一つのカードゲームが起業のきっかけになってたんですね。正直、起業したいと言われてお母さんはどう思いましたか?

  1. 母の日に何もしない娘にがっかり。プレゼントなしは普通?催促するのはNG? | ごきげんなブログ

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お嫁さんがお姑さんに母の日の品物を贈らないという方は、やはり一定数いらっしゃいます。 嫁・姑間でのプレゼントがあったかを調査したところ、半数が贈り、50%を切るほど贈らない方がいるのだとか。 直接の血縁を持たないことはもちろんのことですが、様々な事由があるため以下よりありがちなケースを解説していきます。 もともと仲がよくないから 嫁姑問題で頭を抱える女性はかなり多いようですが、筆頭の理由は二人の間柄が不仲だということでしょうか。 実の息子に姑の愛情が傾いていると、お嫁さんの方もわざわざ渡す必要がないという感情を生んでしまっても仕方がありません。 もしも、自分に非があった場合であれば仲を改善する余地もあり、顔を出すまたは母の日にプレゼントをする対策が功を奏することもあります! 母の日をやる習慣がない 嫁・姑二人の間柄ではなく、ご主人を含めた相手方の家族事情に母の日の祝う習慣がないこともあります。 ただ、何もしないというよりは、何らかのアクションを起こしておくことも円満を維持するために大事です。 ・メールで感謝を伝える ・電話でありがとうを声に出して伝える ・手紙で祝いの言葉を書き記す 上記のありがとうのパターンを駆使して一度、母の日にお姑さんへ伝えてみましょう♪ もちろん、習慣がないため拒否する傾向がある場合は無理に行ってはいけません。 突然、母の日の贈り物をやめても大丈夫なのか? 母の日のプレゼントは、毎年100%贈ることができるとは限りませんよね。 突然の事態におちいって、贈れないという時は事前に連絡を入れておくことが大切です! 例えば、直接会う時間を設けることができないケース、あるいは予算が全く間に合わなかったことが代表的でしょうか。 一言謝りの言葉を添えておくと、お母さんも悪い気には決してなりません。 これはやっておいたほうがいい3つのやるべきこと!

と自分を責めてしまいそうです。子どもは園や学校で過ごすにつれて、母の日は母に感謝をする日だと自然と学んでいる気もしますが……「そう思えない」こともまた、育てた親のせいなのでしょうか……? 『幼稚園があったら、何かもらえてたな……(笑)』 『子どもが小さい頃は、幼稚園や小学校で行事として、工作でプレゼント貰っていた。でも大学生になった今は何もくれない』 あの幼い頃の手作りの似顔絵やお手紙を思い出すと、ますます現実と見比べて悲しくなってきてしまいそうです。 ママたちが本当に欲しいものって……? 「母の日」に何もしてもらえないことが虚しい……と嘆くママたち。ママたちは、何をしてもらえたら嬉しいのでしょうか? 『「いつもありがとう」の一言でも言ってもらえたら、うれしいな!』 『わかるー。いつもありがとうって言ってもらえるだけでも嬉しいから言ってほしいよー』 『言葉くらいくれたって、バチは当たらないよね』 『プレゼントなんていらんよ。LINEのありがとうで十分だわ』 『花はいらないけど「いつもありがとう」くらいの言葉は欲しいよね』 お花やプレゼントが欲しいわけではないママたち。「 ありがとう 」の一言だけで報われるというママたちの気持ちに、なんだか涙があふれてきてしまいそうですね。家族のために目には見えない「当たり前」のことを毎日しているからこそ、1年に1度くらいは感謝されてもいいのでは? と思っても、決して間違ってはいないはずです。 「母の日」なのに「いつもと変わらない日」切なさの矛先は……? 『さっき1人で買い出しに行ったら、花屋の前にカーネーションを買うパパと子どもの行列ができていた。帰ったら、換気もせず散らかしっぱなしの部屋で子どもと旦那がテレビを見てゴロゴロ。「昼飯なに?」だって。なんか泣けてきた』 『めちゃくちゃわかる。こういうときって本当、結婚なんてしなきゃよかった、相手を間違えたって思うよ』 『子どもがまだ小さいから仕方ないんだけど、旦那からはせめてなんか労いほしいよね……』 『毎日外食もせず三食作ってるから、今日くらい……って思って「お昼はテイクアウトにしたいな」って言ったら、「お金かかるじゃん」って。こんなクソ旦那最悪』 世間と自分の現実を見比べると、ますます悲しくなってきてしまいます。ぜめて今日くらい……の気持ちすら労ってもらえず、その切なさをどこに向けていいものか……。子どもがまだ小さい場合、子どもに「母の日とは」を教える役割の人は、まず旦那さんが挙げられます。しかし自分たちは、旦那さんの「母」ではありません。母の日をめぐる気持ちの矛先を、向けていいものなのでしょうか?