摂政と関白の違い

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July 31, 2024, 7:41 am
関白・藤原道長、太閤・豊臣秀吉といったように、有名な歴史上の人物は役職名と一緒に呼ばれることが多いですよね。 その一方で、役職の名前は知っていても、具体的にどのような仕事をしていて、他の役職とどう違うのかよくわからないことってありませんか? そこで今回は、 摂政、関白、太閤、太政大臣、征夷大将軍 といった役職ごとの違いについて、基本からわかりやすく説明します。 調べ物や学校のテスト勉強などに役立ててくださいね!

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歴史の教科書に登場する、摂政と関白。教科書にはザックリとした解説しか書かれていないため、モヤモヤしている子も多いのではないでしょうか?

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ザックリとした分類ではありますが、 4つの時代ごとに分けて摂政と関白を捉えていくと理解がグッと深まります。 [1]飛鳥時代〜奈良時代 ―― 天皇を補佐 飛鳥時代から奈良時代は、摂政が大切な役割を担っていました。まさに天皇をしっかり支える補佐役としての役目を果たしていた時代です。推古天皇の摂政・聖徳太子が有名ですね。ちなみにこの時代には関白はまだ存在しません。 [2]平安時代 ―― 摂関政治 平安時代は、摂政と関白が力を持った時代です。「天皇の補佐」という役職を飛び越え、自分の思い通りに天皇を動かすようになりました。当時の政治は、摂政と関白のふたつの頭文字をとって「摂関政治」とも呼ばれます。 [3]鎌倉時代〜江戸時代 ―― 武士の時代 鎌倉時代から江戸時代にかけて、摂政と関白の存在はあまり目立たなくなります。武士の時代は「征夷大将軍」に任命された武士が大きな力を握っていたから、ともいわれています。 [4]明治時代〜令和 ―― 天皇を補佐 江戸時代が終わると武士の世の中が終わりを迎え、"天皇の時代"が再びやってきます。明治時代以降も摂政は存続し続け、これまでどおり天皇の補佐役としての役目を務めたこともありました。 代表的な摂政と関白 摂政と関白がそれぞれの時代でどのような立ち位置にあったのか、大枠はつかめましたか?

摂政と関白の違いについて説明したいと思います。 摂政 まず摂政についてです。 摂政は 幼い天皇に代わって政務を執り行う とともに、当時において天皇の主要な大権だった 官奏を覧ずる ことと、 除目・叙位を行う ことを執り行っていました。 すなわち天皇に変わって政治を全面的に取り仕切っていたのが摂政です。 天皇が幼かったり病弱であるといった理由で設けられていた 例が多いようです。歴史上、初めて摂政になったのは 聖徳太子 と言われていますが、これには諸説あり定かではないようです。 関白 続いて関白です。摂政とは違い、関白の場合は 最終的な決裁者はあくまでも天皇 です。天皇と関白が協議などを通じて合意を図りながら政務を進めることが基本となっていました。天皇成人後のアドバイザー的なポジションであったと理解していいでしょう。ちなみに歴史上初めて関白となったのは、 藤原基経 であると言われています。 この摂政、関白の役職を独占したのが、平安時代の藤原氏です。特に 藤原道長 、 藤原頼通 親子の時に栄華を極め、道長は以下のような歌を残しています。 「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」 (この世は自分のためにあるようなものだ。満月が欠けることがないのと同じように、私の思うようにならないことはない。)