死後の世界はない ホーキンス

秀 英 統一 テスト 結果
July 30, 2024, 10:15 pm

ホーキンス博士が死後の世界はないと 発言。というニュースがあり、 そのコメント欄の賛同意見の多さに驚いています。 本当のことは死ななければ、わからないでしょうけど、 この日本の文化の中で生きてきた自分としては、しっくりしません。 「ある」と思われているる方、何か ご意見をお願いします。 昨年、身内を亡くしたこともあり、そう思いたくないので・・ 2人 が共感しています ベストアンサー このベストアンサーは投票で選ばれました あるというのを信じたいと言う人へ。 それは今の自分の妄想です。 これってね キリスト教の イエスが言ってます。 天国とは「愛」だと。 日本も世界中も物がある国は 今更「愛」とか「隣人愛」を言われてもしっくりこない。 自分の隣の人に愛をもってなんて ハイハイわかってますってぇ~真面目だなぁ~というのが本音の人多いです。 これがキリストの生きた2000年前の世界の人間も同じです。 だから 天国に行けるようにしたい「献金」=お金をたくさん払えば入れてもらえる=いいことという ある意味宗教的慣習がその理念とかと関係なく儀式化していた。 今の日本だと思いません? 賽銭箱にお金を投げ入れて 自分勝手なお願いをする お願いはするけれども 感謝はしない。 そんな 世界が2000年以上なにも人間社会で変わらないということです。 でね イエスが言うのは 「神の世界」に行こうというのではなくて みんなの心の中の善意「愛」が この世に神の世界を作り出すというのです。 死後の世界じゃなくて この世に神の国を作れる それが 神の子どもである人間の出来ることだといっているのです。 12の弟子がイエスにはいましたが 彼らもイエスを裏切る行為をたびたびしてますが それが人間です。 でもね この12人の弟子は当時死にゆくものを忌み嫌う社会 疎外された人の手をとって 病の中にいて「私は神様から罰を与えられた何かが悪かったから病気になったのだ」という人たちの手をさすり ご飯を食べさせて あなたがいることに感謝をするという行いをした。この小さな行いが 弱いものを助けて神の世界を作るという趣旨の基本です。 人間の生活で 居心地が悪いとか気分が悪くなるというのは そこに「愛」がない 行動や言葉があるからではないですか?

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死にたい子供だった。 死後の世界の事を思うと好奇心に負けて死んでみたくなった。 誰も知らない、でも生きていれば必ずいつかは経験するであろう死後の世界。 一線、というのがそこには確かにあって、それを超えてしまえばそれを生きている人間には伝えられなくなる、一世一代の覚悟のような現象、それが死だった。 病床の父は朦朧とする意識の中で言った。 「船がいっぱいだったから、乗れなかった」 ホーキンス博士や悪魔崇拝者のアントン・ラヴェイは死後の世界など存在しないと言った。 死後の世界や天国が脳内麻薬の産物だとしたのなら、私たちの意識はその後どこへ旅立つのだろうか? 私たちが考える事のできる物質に過ぎないのなら、肉体亡き後思考は停止する。意識、魂というものが存在するとしたら、それはそれで面白い。 私は消滅を恐れている。 自らの手で命を絶った級友は"その後"、どこに存在しているのだろうか?

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◎「源泉となる意識」の存在 ◎心で願うことは、なぜ言葉にしなくても伝わるのか ◎なぜ、死後の世界を「科学的」に証明できないのか? 著者紹介 フランス蘇生学協会会員。麻酔・蘇生医として25年以上にわたり救命救急の現場で働くかたわら、臨死体験や変性意識に関して数多くの著作を出版し、各地で講演を行う。長年にわたる研究によって、「人生とは、死によって必ずしも終わるものではなく、時に意識をともなったまま、別の次元の中で続いていくものだ」との確信を得る。 訳者紹介 1984年横浜市出身。法政大学キャリアデザイン学部卒。翻訳会社、出版社勤務などを経て、現在は翻訳業に従事。埼玉県在住。共訳書に、フロラン・シャヴエ著『東京散歩』(飛鳥新社)がある。 担当編集者より一言 フランスでベストセラーとなっている本書は、現役の救命救急医が数多くの体験をもとに書いているだけあって、説得力が違います。もしも「あの世」がほんとうにあるとしたら……なんだかワクワクしませんか? 死後の世界を信じることで見えてくる、まったく新しい世界。きっと毎日が劇的に変わりますよ。私の場合、生まれたときにはもうどちらの祖父もこの世にいなかったので、あの世で会えることが楽しみになりました。いや、魂が死なないとしたら、もうすでに違う姿で、私の側にいるのかも……。 毎月10名の方に抽選で図書カードをプレゼント

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十王経は三回忌で終わっています。日本ではお馴染みの七回忌や三十三回忌は含まれていません。 それは、お経が創られた場所が中国で…儒教での服喪の期間が亡くなってから2年間(三回忌まで)という理由だそうです。 十三仏信仰 日本では十王経とは別に十三仏信仰がメジャーになり、法事などでお寺の本堂へ行くと十三仏の掛け軸がよく飾られています。また、檀家さんでも自宅に飾っていらっしゃいます。 下記は、十仏に三十三回忌までの三仏を足した状態となります。 七回忌(死後6年目) 蓮華王(れんげおう) 阿閦如来が姿を変えた裁判官 十三回忌(死後12年目) 祇園王(ぎおんおう) 大日如来が姿を変えた裁判官 三十三回忌(死後32年目) 法界王(ほうかいおう) 虚空蔵菩薩が姿を変えた裁判官 これで…よく見る法要の一覧になります。葬儀後にお坊さんから、回忌法要の一覧表をもらう事もあると思います。 なぜ、わざわざ法要をするのか?

2018年8月14日(火)11時10分 <生前に善いことをしようが悪いことをしようが関係ない? そんな考えの宗教もかつてはあった。宗教学者が「死」を通して「生(せい)」の意義を考えた『しししのはなし』より> お盆は先祖を家々に迎え、祭る時期。1年で最も「死」を身近に感じる季節と言えるかもしれない。 死とは何か。人は死んだらどうなるか。幽霊は存在するのか。親しい人や家族を亡くしたとき、どうすればいいか。自分もいつか死ぬなら、どのように生きていけばいいのか。自殺は悪いことなのか...... そんなことを考える良い機会でもあるだろう。 そんなとき、この本が役に立つかもしれない。 『しししのはなし――宗教学者がこたえる 死にまつわる〈44+1〉の質問』 (正木晃・著、クリハラタカシ・絵、CCCメディアハウス)。 宗教学者である正木晃・慶應義塾大学非常勤講師が、日常に点在するさまざまな「死」を通して「生(せい)」の意義を考えられるよう、まとめた1冊だ。 この本はこんなふうに始まる。 人間は誰しも、刻一刻と、死に近づきながら生きている。死と聞いて何をイメージするかは人それぞれだろうが、生命あふれるこの世界は、裏を返せば死にあふれているということだ。 ここでは、この本の〈44+1〉の質問から3つを抜粋し、3回に分けて掲載する。第2回は「いつか死ぬなら、何をしてもいいんじゃない?」。 ※第1回: 亡くなった人の気配を感じたら...... 食べて、寝て、遊べばいい ◇ ◇ ◇ 32. いつか死ぬなら、何をしてもいいんじゃない? そう考える人は、いつの時代にもいました。 たとえば、ブッダが登場した二五〇〇年ほど前のインドで活動していたローカーヤタ派と呼ばれる学派が、そうでした。この学派の人々は、死んだら、それで全部お終(しま)い、死後世界もなければ、霊魂も残らないという具合に、古代としては珍しく、唯物論的な考え方を採用していました。 とにかく、死んだら何もかもなくなってしまう。死後世界も霊魂もないのだから、生前に善いことをしようが悪いことをしようが、その影響はまったく考えなくてかまわない。とすれば、生きているうちにやりたい放題やっておくほうがいいんだと主張したのです。 もっとも、ローカーヤタ派は、ローカーヤタ派以外の人々からは、下劣きわまりないことをいうやつらだと、毛嫌いされていました。