「戦国でもっとも不毛な戦い」のきっかけを作った 武田×今川×北条の「三国軍事同盟」【麒麟がくる 満喫リポート】 | サライ.Jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
ワン フォー オール シュート スタイル東北きりたん その子 氏真 (うじざね)も球蹴りが上手くて、親子揃って全日本代表に選ばれたのは、涙なしでは見れなかったよな。 サッカーワールドカップ全日本代表として親子揃って活躍した今川義元と氏真 弦巻マキ 氏真は詩のセンスも抜群で、奥さんも可愛くて、数十億稼げる逸材なんだよなぁ。 結月ゆかり おいやめろ。 もう・・・次行きますよ。 結月ゆかり これに対し、 甲斐の 武田信虎 は関東管領である山内上杉氏と、その分家にあたる扇谷上杉氏と同盟を結んで対抗していました。 武田信虎は両上杉家と同盟を結んで対抗 第2章 今川氏輝の死と花倉の乱 結月ゆかり この構造に変化が生じたのが天文5年(1536年)。 今川氏輝 が病死した時です。 ※死因については諸説あり 弦巻マキ 今川氏輝って今川氏親の子? 結月ゆかり その通りです。 氏輝の病死によって 今川家では後継者の地位を巡って 玄広恵探(げんこうえたん) と 栴岳承芳(せんがくしょうほう) という二人の弟が家督争いを起こしました。 玄広恵探VS栴岳承芳 による熱い家督争い 東北きりたん ネタが古いな。兄弟でもねぇ。 結月ゆかり この時の争いのことを「 花倉の乱 」といいます。 天文5年(1536)花倉の乱が起きる 弦巻マキ 鼻くその・・・乱? 東北きりたん 「はなくら」 な? 結月ゆかり 家中で強い影響力を持つ今川氏親正室の 寿桂尼(じゅけいに) や、 太原雪斎(たいげんせっさい) ら重臣たちは栴岳承芳(せんがくしょうほう)を還俗(げんぞく)させ、将軍・足利義晴から偏諱(へんき)を賜り、 今川義元 と名乗らせました。 弦巻マキ ん、待って。 還俗(げんぞく)ってなに? 太原雪斎【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】|土岐日記. 結月ゆかり 還俗というのは、仏門に入っていた人が僧籍を離れて俗人にかえることを言います。 今回の今川義元でいうと、後継者争いを避けるために武士の身分を捨てさせ、僧侶にしていましたが、当主であり、兄でもある氏輝が死に、氏輝の後継者として目されていた彦五郎も相次いで死んだため、急遽還俗することになりました。 今川家家系図 弦巻マキ なるほどわからん。 それで、「偏諱を賜る」ってなに? 結月ゆかり 偏諱(へんき)を賜るというのは、身分の高い人から一字を頂くことにより、自分こそが正当な後継者だー!とアピールできたり、求心力を高めて、より多くの家来や勢力を味方につけたりすることにも繋がりました。 東北きりたん なるほど、つまりあれか。 昔「信長の野望覇王伝」で、一字拝領の仕様を利用して 東北きりたん 北条一族をみんな同じ名前に染め上げることができたやつか。 結月ゆかり お前一体何歳なんだよ!
今川義元が「海道一の弓取り」と呼ばれた実力とは?42年の生き様を見よ! - Bushoo!Japan(武将ジャパン) - 4ページ
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太原雪斎【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】|土岐日記
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駿河国を支配していた今川氏、甲斐国を支配していた武田氏、相模国を支配していた北条氏が、天文23(1554)年に三国同盟を結びます。「甲相駿三国同盟」です。互いに領土が隣接し合っており、実際に武力衝突を繰り返していた三大勢力が、なぜ手を結ぶことになったのでしょうか?