お知らせ | 長楽館

はんだ こ て 先 自作
July 31, 2024, 8:55 am

……と、まだまだ書き写したい詩や言葉も盛り沢山ですが、高に纏わる作品以外の部分で、時系列に関係なく驚いた順に、以下。 まずは、「高の第一詩集『北方の詩』は、あのボン書店が最後に刊行した詩集であった」こと! ボン書店は、古書業界では今なお人気の高い、詩集好きには特に名を知られた版元で、約七年の出版活動期の中で出した書籍は、数こそ少ないながらにあっさりと美しい装幀にも刊行内容にも定評がありました。そんなボン書店が最後に出した本が、高島高の詩集とはー! 余談ですが、『北方の詩』はまず私家版で出され、その序文は山之口貘が。続くボン書店版『北方の詩』では、序文を萩原朔太郎と北川冬彦とが担っています。……なんたる豪華さ! 次に驚いたのが、「山之口貘が日々提げていた鞄は、高のお下がりだった」という事実です! あの、独特な生き様と作風で、鞄一つに全財産!な詩人・山之口貘の提げていたまさにその鞄が高のお下がりだった理由は、東京時代(二十代の頃)に高は貘と非常に仲が良かったためです。なんなら貘の原稿料をもらうために二人で改造社に出かけては編集者の出待ち(?)なんぞもしているやないかーい! 井伏鱒二 青空文庫 山椒魚. これまた余談ですが、医師になるために高が通っていた医学校の解剖学の先生が森鴎外の子息・森於菟という事実にも結構驚いた。そして、貘は詩集の出版費用を捻出するために「解剖用死体売却契約」を思いつき、高を通して於菟に買ってもらえるようにお願いしたそうですが、これは「(貘が)死んだら解剖用の死体にしていいから今お金をください」って頼んだということなのかしら……? と、謎も深まるばかりのエピソードもありつつですが、そんなこんなで掘り下げれば下げるほど気になる高の生涯なのでした! 見つけるのは大変そうですが、できればまずはボン書店版『北方の詩』を入手して、最初から最後まで読んでみたいです。 ところでこの本における高の詩の解説文から浮かび上がってくるイメージがなんとなく立体的だなと思っていたら(私の場合、詩を読んでいて情景が浮かぶときには、写真や絵画といった平面的なものとして浮かぶ)、著者の伊勢功治さんは装幀家だと知って、思考を形にするスペシャリストだから立体感に優れているのかー、と妙に納得したのですが、この本の装幀と組版も自ら手掛けていらっしゃるではないかー! 雪のように白くて美しい本で、シンプルだからより一層、高島高自身を探っていきたくなるのでありました☆ 『北方の詩人 高島高』思潮社 伊勢功治/著

「月世界の人間(手塚治虫著)」:メタ坊のブロマガ - ブロマガ

302-303 ^ 個人の嗜好を問われ、「歩くこと」と答えたところ、英国版紳士録の履歴にそのまま記載された。野口米次郎著『米次郎随筆』第一書房、1926年 pp. 4-5 ^ 帰国前に野口は鷲津尺魔、翁久允らを伴いミラー山荘を再訪し、故ミラーの妻、娘と再会を果たした。ヨネ・ノグチ著『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝』伊藤精二訳、文化書房博文社、2015年 pp. 「月世界の人間(手塚治虫著)」:メタ坊のブロマガ - ブロマガ. 84-86 ^ 5月11日、中央亭において開催された会合における演説の中で、野口は、該当号読後の感謝と不満とを併せて表明した。不満は、各執筆者による野口論から、悉く退屈、義務的態度が看取された点にあった。外山卯三郎作「萩原朔太郎の見た詩人野口米次郎」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp. 97-98 ^ この頃、雑誌『日本詩人』の編集は、佐藤惣之助による。 長沼重隆 作「野口さんのこと」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 p. 162 ^ 1933年にタゴールからの講演依頼があったものを、翁久允が野口に伝えた。翁久允作「ヨネ・ノグチの思出」外山卯三郎編著『詩人ヨネ・ノグチ研究 第二集』造形美術協会出版局、1965年 pp.

みなよくわかる。君の、わびしさ、みなよくわかる。これも、私の傲慢の故であろうか。何も言えない。 中谷孝雄氏の「春の絵巻」出版記念宴会の席上で、井伏氏が低い声で祝辞を述べる。「質実な作家が、質実な作家として認められることは、これは、大変なことで、」語尾が震えていた。 たまに、すこし書くのであるから、充分、考えて考えて書かなければなるまい。ナンセンス。 カントは、私に考えることのナンセンスを教えて呉れた。謂わば、純粋ナンセンスを。 いま、ふと、ダンデスムという言葉を思い出し、そうしてこの言葉の語根は、ダンテというのではなかろうか、と多少のときめきを以て、机上の辞書を調べたが、私の貧しい英和中辞典は、なんにも教えて呉れなかった。ああ、ダンテのつよさを持ちたいものだ。否、持たなければならない。君も、私も。 ダンテは、地獄の様々の谷に在る数しれぬ亡者たちを、ただ、見て、とおった。 人は、人を救うことができない。まことか? 何を書こうか。こんな言葉は、どうだ。「愛は、この世に存在する。きっと、在る。見つからぬのは、愛の表現である。その作法である。」 泣き泣きX光線は申しました。「私には、あなたの胃袋や骨組だけが見えて、あなたの白い膚が見えません。私は悲しいめくらです。」なぞと、これは、読者へのサーヴィス。作家たるもの、なかなか多忙である。 ルソオの懺悔録のいやらしさは、その懺悔録の相手の、(誰か、まえに書いたかな?