『悪の教典』三池崇史監督、二階堂ふみ、染谷将太、林遣都 単独インタビュー - インタビュー - Yahoo!映画

は ま 寿司 南 船橋
July 30, 2024, 12:42 pm

貴志祐介のベストセラーを映画化した『悪の教典』は、サイコパス(反社会性人格障害)の高校教師が、生徒たちに仕掛ける残虐な凶行を描いたセンセーショナルな一作だ。監督は、バイオレンス描写に定評のある三池崇史。教師に狙われる生徒を熱演するキャストにも注目の面々が集まった本作。二階堂ふみ、染谷将太、林遣都という若手演技派が、三池監督の下、どんな自分を発見したのか。監督と三人が、撮影の舞台裏を語り合った。 Q 過激なバイオレンスシーンも満載の『悪の教典』ですが、現場ではどんな指示や、やり取りがあったのでしょうか。 三池崇史監督(以下、監督) 僕は基本的に役者に委ねるんだけど、もともとみんな想像以上の能力を持っていたので、その力を引き出せるのか、逆にプレッシャーだったね。現場を仕切る側として、彼らに何を投げ掛けられるのかを考えていた。特にこの三人には、特別な才能があると感じたよ。 演じる側として、監督から何を引き出されましたか? 染谷将太(以下、染谷) 何かを引き出されたとかいう以前に、監督のこだわりに驚きました。僕の場合、ガムテープですね(笑)。テープでグルグル巻きにされるシーンがあるのですが、(自分の体を指で示して)こっちからこの方向へとか、テープの巻き方まで細かく監督が指導していましたよね。 監督 (染谷が演じる)早水は、教師の蓮実から必要以上に攻撃されるキャラクターだからね。どれだけぶざまに見せるかが大事だったんだよ。 染谷 脚本に書かれた指示を覚えて臨んだのですが、ガムテープで巻かれた状態になると、全部頭からとんじゃいました。でもその状態が面白いと開き直ったから、変な間が空いたり、(蓮実役の)伊藤英明さんがいきなり鼻をつまんできたりと、逆にライブ感が生まれたんだと思います。 二階堂さんはいかがでしょう。 二階堂ふみ(以下、二階堂) 監督は基本的な説明しかしなかったですね。ただ、現場は怖かったです。映画なのに、「本当に殺されるかも」なんて感じて、震えている女の子もいました。そういう状況でも、監督は笑顔でキャンディーをなめながらモニターを眺めたりして……(笑)。あの笑顔でさらに恐怖が増したんですけど、あれは狙いだったのですか? いや、そういうわけじゃなくて、映画はコマ切れに撮るわけだから、翌日へのテンションを保つためにも、スタッフ側としては、撮影を楽しんでいる雰囲気を心掛けているんだよ。今回は初めて映画に出る人も多かったので、それぞれ死ぬシーンで、生きている証としてのパワーがさく裂するように演じてもらった。僕自身も、初めて参加した撮影現場での新鮮な気持ちを思い出したね。 それぞれの見せ場ということで、林さんは男性との衝撃的なラブシーンもありましたね。 林遣都(以下、林) 現場での監督はジョークも多いので、実際にどこまで本気なのかわからなかったんです。あのシーンでも「今からこんなことされるんだよ」と説明されたけど、絶対にジョークだと思っていました。実際にやったときは、ちょっと驚きましたね(笑)。でもそれが三池組のやり方で、演じる側は可能性が広がるんです。 脱いだら、スネ毛がなかったよね?

映画『悪の教典』あらすじ・ネタバレ・キャストまとめ

0 out of 5 stars 面白くはない。 Verified purchase ツマラナイ事はないですが面白くはないです。ミステリーでもサスペンスでも無く、サイコスリラーでもない。要するに中途半端なのですが、何が原因かを考えてみるに、登場人物の誰にも感情移入できないからだと思います。だから作劇上のサスペンスが発生しないし、対立するキャラも居ないのでただただ「怪物」が高校生たちをぶっ殺していくさまを見せられるだけ。おそらくはそう言う意図なのでしょうが、だとするとあまりにも主人公に怪物としての魅力がありません。天才的頭脳でありながら猟銃で体育会系的に殺していく様は白けました。何のための天才的経歴だったのでしょうか‥ 101 people found this helpful 頂きの庭 Reviewed in Japan on January 11, 2019 4.

『悪の教典』に二階堂ふみ、染谷将太、林遣都、山田孝之が出演決定!(画像2/7) - Movie Walker Press

2019年1月4日 2019年11月21日 この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。 はい今日はこちら! 映画「悪の教典」です。 ネタバレなので、まだ見てない人は離脱してね。 この映画のラストでサイコキラー教師の蓮実(伊藤英明)は逮捕されます。 保健室のAEDの録音に蓮実が生徒を殺す時の声が入っていたので、 蓮実の犯行が警察にバレてしまったのです。 警察に連行される蓮実の元に2人の生徒が・・ その時の生徒と蓮実のやり取りの意味がちょっと分かりにくい。 生徒の1人、二階堂ふみの左目。 白く濁っていきます。 なんやねんあれ? 映画『悪の教典』あらすじ・ネタバレ・キャストまとめ. と思った人もいたと思います(笑) 今日は悪の教典のラストの意味を解説します。 また、漫画版と原作のラストについても解説します。 では、映画のラストシーンを確認しておきましょう。 警察に連行される蓮実に、生き残った片桐怜花(二階堂ふみ)と、 夏越雄一郎(浅香航大)が蓮実の後を追い、 片桐怜花は「圭介(染谷将太)生きてるよね! ?」と蓮実に問いかける。 蓮実は立ち止まり、ゆっくりと振り返ると、 怜花に対して蓮実は、 「ごめんよ・・本当にすまなかった・・」 「これは全部神の意志だったんだ。頭の中に響いて来た命令でやったんだよ」 「4組の生徒は1人残らず悪魔に取り憑かれていたんだ・・ ・・これは皆んなの魂を救う為だったんだよ」 と言った後蓮実は片桐怜花に何か言います。 「・・・」(聞き取りづらいセリフ) すると二階堂ふみの左目が白く濁っていきます。 出典: その様子を見た蓮実は、 「オーディンによろしく伝えてくれ」と言います。 そのセリフを聞いた、浅香航大は、 蓮実は気が狂っていると言います。 「神の意志・・・狂ってる!こいつ・・完全に狂ってる!」 それに対して二階堂ふみは、それを否定します。 「ちがう・・こいつはもう次のゲームを始めてんだ・・」 すると蓮実は踊り出します。 「行こうぜ相棒、俺たちに責任能力なんてありゃしない」 あのショットガンの声が聞こえてきます。 蓮実は踊りながら口笛を吹きます。 すると屋上から突き落とされて倒れていた安原美彌(水野絵梨奈)が、 息を吹き返した所で映画は終わります。 二階堂ふみの目は何故白くなる? 蓮実は 「4組の生徒は1人残らず悪魔に取り憑かれていたんだ、 これは皆んなの魂を救う為だったんだよ」と言った後、 ちょっと聞き取りづらいセリフを言います。 映画ではちょっと聞き取り辛いのですが、 二階堂ふみの事を見て「ムニン」と言っています。 ムニンとは北欧神話に登場する神オーディンの僕(しもべ)の、 二匹のワタリガラス「フギン」と「ムニン」を指します。 オーディンは北欧神話に登場する、戦争と死の神。 「フギン」と「ムニン」は世界中を飛び回って、 様々な出来事をオーディンに伝えている。 蓮実は毎朝自分の家の庭に来るカラスを「フギン」と「ムニン」と名付けていた。 一匹は蓮実が感電させて殺した。(フギン) もう一匹のカラスは目が白く濁っていた。(ムニン) このもう一匹のカラスと二階堂ふみを重ね合わせて、 ムニンと呼び、 「フギン」と「ムニン」の主人である、 オーディンによろしくと二階堂ふみ(ムニン)に言った。 勿論本物のオーディンのワタリガラスのはずもなく、 蓮実が勝手に言ってるだけです。 蓮実はムニンが自分の事を見張っていると思っている。 次のゲームは無罪になる事 「神の意志・・・狂ってる!こいつ・・完全に狂ってる」と、 浅香航大は蓮実の狂いっぷりに恐怖しますが、 二階堂ふみはそれを否定します。 「ちがう・・こいつはもう次のゲームを始めてんだ」 次のゲームとは何なのか?

杏 :どうだろう? 幼少期から今まで、仕事しながら多感な時期を何度も乗り超えてきたから、自分の変化なのか、外の世界の変化なのか線引きが微妙で。でも私の場合、仕事の主軸が映像から舞台に変わったことがすごく大きいかな。 舞台って観る人が選んで劇場に来る、ある種の閉鎖された空間だから、映像より社会の変化やエンターテイメントの変化にあまりさらされてこなかった場所だと思っていて。もちろん社会のなかで文化のあり方が変化しているのは感じていて、身近なところで言うと、DVDを借りていたお店がいつの間にかコンビニエンスストアに変わっていたり。 ふみ :せつなさを感じますね。 杏 :そうなの。この間、ナレーションをしている『 True Stories 』(TOKYO FM)で向田邦子さんを取りあげたときは、「愛してる」みたいな肝心な言葉を向田さんは決して脚本に書かなかったと。その行間をお芝居を観る人に読みとってもらう時代だったんだよね。 でも今はすぐ言っちゃうじゃない? 『悪の教典』に二階堂ふみ、染谷将太、林遣都、山田孝之が出演決定!(画像2/7) - MOVIE WALKER PRESS. それはSNSで短時間にコミュニケーションを取るようになった、その小さな波がエンターテイメントに押し寄せてきた結果なのかもなって。そういった変化のなかで、変わらずコツコツやるのが私たちの仕事だと思ったりする。ふみちゃんはどう? ふみ: それは絶対に言葉にしちゃいけない、みたいなことすらも平気で言葉にしてしまう時代ですよね。杏ちゃまが言うような性急なコミュニケーションが感受性を麻痺させてしまった気がするし、肩をぶつけられたらイラっとしてしまうのと同じで、そういう言葉を浴びせられつづけると、自分もそういう言葉を持ちかねなくなってしまうのが怖いなって。 それはこうやって対峙する相手との言葉じゃなくて、見えない人たちの言葉に慣れてしまった怖さなのかなって感じます。 杏 :ね?